【本当のスピリチュアルの話をしょう】脳が作りだす霊というイメージ|その奥に広がる神というイメージ すべては潜在意識のなせる技です
最初に言うと 僕のセッションで感じるイメージ体験は 時には神秘体験になります
するとそれは 主観としてはもう神や霊からの働きかけに感じることさえあります
そうです 「感じる」という点ではもうスピリチュアな神秘体験であり 宇宙には霊の力が作用していると思えるのです でもその仕組みは本当に宇宙の管理人がいるわけではなくて 人の脳の潜在意識の力だと考えている次第です
英語辞典によればspiritualの形容詞としての意味は,
「1. 精神的な,精神(上)の,霊的な,魂の,知的な,2. 崇高な,気高い,超俗的な,3. 超自然的な,神の,聖霊の,神聖な,宗教上の,教会の」
スピリチュアリティは、英語:Spirituality、訳語には「霊性」や「精神性」などがある
目次
スピリチュアルという言葉に感じること

いわゆる「スピリチュアル」は世の中にたくさん情報が発信されています
いろんな人がいろんな考え方を本やCD、SNSや動画やブログで述べています
ところで
ぼくがいまひとつ どっぷりスピリチュアルに没頭できないのには理由があります
たいていのスピリチュアルの話は
確信的・断定的に霊や神の世界の仕組みを体系的に語っていることです
霊や神が登場しなくても それ以外の超越的なもの
アカシックレコードや量子力学的に精神は作用すると言い切ったりしています
言い切られたことに賛同するのは信仰であり ぼくはそういう意味の信仰心は持てないのです
神秘的なことは感じればよいのであって それを徹底的に仕組化して断定するというのがちょっと嫌なんですね
スピリチュアリティの定義付け|SAT療法開発者の筑波大学宗像恒辻さんによる

一方「スピリチュアリティ」という言葉はそれとは違う印象をぼくは持ちます
もちろん英語で考えれば同じ意味ですが日本語になったときの語感としての話です
スピリチュアリティについてはかつて筑波大学の宗像恒次さんが
SAT療法というヘルスカウンセリングの書物の中で語っていたことがあり
その考え方がぼくは好きです
人間は 祖先や宇宙や神への愛や守護を求めるというイメージを持ち
そういうイメージを想像したり共感したりすることが
人間の精神性 社会性 身体性 に影響する
これらは目に見えないものだが その見えないものが人間にとっては大切なのである
(SAT療法より)
そしてこのスピリチュアリティの実態は人の脳活動パターン=イメージの中に存在し、そのパターンが人間にとてつもない影響を与える。と言うのです
結局 二つの言葉の意味の違いは?

今の日本で使われ地るスピリチュアルという言葉は
目に見えない部分を
はっきりこうであると断定してその仕組みと効果を言ってるように感じます
一方 SAT療法で使うスピリチュアリティという言葉は
日本語では精神性のその奥の脳活動の根源みたいなことを言ってる感じがします
その根源を 人の言葉で完全に言い切るのがスピリチュアルであり
スピリチュアリティの姿勢は その精神性は認めつつ
それは根源的な不思議な人の在り方だと思うだけで
勝手に解釈したりしないという姿勢です
※あくまで日本語として使用される時のニュアンスの違いです 英語では同じ意味に違いありません
霊も神々もイメージが作った?
精神活動が物理的に現実世界に作用すると考えるのがスピリチュアルです
なぜそれが多くの人の賛同を得るかというと 苦しい人生を送るにあたって
自分の意思の力だけでは克服できないようことも この私の精神活動の1というエネルギーが
的確に宇宙法則のボタンを押せば 100万のエネルギーとなって帰ってくることを願うからです
時には ほんとにそんなことが起こっています
そして人間はそれを霊や神のおかげと考えてきました 何故なら自分はそこまでの行動も苦労もしていないから
そのことが成就したのは 自分以外の大いなる存在 大いなる法則の賜物と感じるのです
かつては 神 精霊 先祖の霊 だったものが 今は 引寄せの法則 宇宙人のメッセージ 万能の右脳 量子による世界の一瞬の変化 波動による自分の一瞬の変化など 自分の意思と努力を越えて 自分を支えてくれる変化を望むものが好まれています
ぼくはそれらのすべては潜在意識の活動の賜物と考えています
だから 主観である「私」がそれらの「私」でないもののおかげで サポートされるという点では
どれもが同じなのです
何と呼ぶか?どのモデルで考えるか? その違いがあるだけです
そしてそういう目に見えない世界を 人間はとても大切にするのです
だからすべての人はスピリチュアリティに満ちているのです
■まとめ
ユングの言う原型のような
人の中の根源的イメージみたいなものは 脳の仕組みから来る共通項なのだと思います
ネアンデルタール人が死者に花を手向けたことがわかっていますが
仲間の愛する人の死を悼む というこの精神活動は
人の脳の仕組みからやって来ると思います
(※最近の研究ではネアンデルタールのゲノムが現生人類のDNAに5%前後ほど入っているのだそうです)
もしかしたら 哺乳類や鳥類クラスになれば
どの動物も愛する者の死を悼んでいるのかもしれませんね
そうして脳の仕組みから起こるものが
人にあっては精神活動として行われそれなしでは生きることができないほど
重要なものになっていると考えると 人間は誰もがスピリチュアリティに富んだ存在だと言えますね
生命とは身体的な有機体でありつつ その稼働の仕組みに
スピリチュアリティの原理があるのかもしれません
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません