【2025/12/12メルマガ】仕事をしながら「瞑想の場」にいるということ

以前、ある禅僧がこう尋ねられたそうです。
「なぜ、あなたはいつもそんなに悠然としていられるのですか」

その禅僧は、少し微笑んでこう答えました。
「私は、いつも瞑想の場にいるからです」

仕事中も瞑想の場にいる

日常の中の瞑想の場とは?

この言葉を聞いたとき、私ははっとしました。
私たちは瞑想というと、日常から切り離された“特別な時間”だと考えがちです。
実際、瞑想の最中には心が落ち着き、癒され、深く充電されます。
ところが、瞑想が終わって日常に戻ると、その効果は薄れてしまったように感じる。
だから「毎日の瞑想で、少しずつ心を強くしていく」という説明が一般的なのでしょう。

けれど、この禅僧の言葉は、もう一つ先の境地を示しています。
日常のただ中にいながら、瞑想の場にいる。
もしそれができたなら、私たちはどれほど安定した心で生きられるでしょうか。

多忙な一日に向かうための瞑想

似た話があります。
宗教改革者マルティン・ルターは、特に忙しくストレスフルな一日を前にすると、
「今日はやることが多いから、いつもより余分に瞑想しよう」
と言ったそうです。

ここでは、瞑想は「日常から逃れるための静かな時間」ではありません。
むしろ、日常を的確に生きるためのエンジンとして使われています。
忙しいからこそ、心を深く整える。
その結果、現実の判断や行動がより正確になるのです。

受動的注意集中という最強集中力

自律訓練法では、「受動的注意集中」という心の態度が重視されます。
何かを力づくでコントロールしようとするのではなく、
起こっていることを自然に感じ取り、見渡す姿勢です。

この態度は、瞑想の場だけでなく、仕事の場面でも大きな力を発揮します。
自分の感情だけに囚われるのではなく、
手がけている案件、周囲の人々、昨日と今日と明日――
それらを多角的に眺めることで、仕事は不思議と楽になり、的確になります。

仕事をしながら、どこか受動的であること。
そこに、瞑想的な生き方の核心があるのかもしれません。

日常の中にこそ、瞑想の場を持つ。
それは、静かな修行であると同時に、現実をしなやかに生きるための知恵なのだと思います。

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