以前、ある禅僧がこう尋ねられたそうです。
「なぜ、あなたはいつもそんなに悠然としていられるのですか」
その禅僧は、少し微笑んでこう答えました。
「私は、いつも瞑想の場にいるからです」

日常の中の瞑想の場とは?
この言葉を聞いたとき、私ははっとしました。
私たちは瞑想というと、日常から切り離された“特別な時間”だと考えがちです。
実際、瞑想の最中には心が落ち着き、癒され、深く充電されます。
ところが、瞑想が終わって日常に戻ると、その効果は薄れてしまったように感じる。
だから「毎日の瞑想で、少しずつ心を強くしていく」という説明が一般的なのでしょう。
けれど、この禅僧の言葉は、もう一つ先の境地を示しています。
日常のただ中にいながら、瞑想の場にいる。
もしそれができたなら、私たちはどれほど安定した心で生きられるでしょうか。
多忙な一日に向かうための瞑想
似た話があります。
宗教改革者マルティン・ルターは、特に忙しくストレスフルな一日を前にすると、
「今日はやることが多いから、いつもより余分に瞑想しよう」
と言ったそうです。
ここでは、瞑想は「日常から逃れるための静かな時間」ではありません。
むしろ、日常を的確に生きるためのエンジンとして使われています。
忙しいからこそ、心を深く整える。
その結果、現実の判断や行動がより正確になるのです。
受動的注意集中という最強集中力
自律訓練法では、「受動的注意集中」という心の態度が重視されます。
何かを力づくでコントロールしようとするのではなく、
起こっていることを自然に感じ取り、見渡す姿勢です。
この態度は、瞑想の場だけでなく、仕事の場面でも大きな力を発揮します。
自分の感情だけに囚われるのではなく、
手がけている案件、周囲の人々、昨日と今日と明日――
それらを多角的に眺めることで、仕事は不思議と楽になり、的確になります。
仕事をしながら、どこか受動的であること。
そこに、瞑想的な生き方の核心があるのかもしれません。
日常の中にこそ、瞑想の場を持つ。
それは、静かな修行であると同時に、現実をしなやかに生きるための知恵なのだと思います。


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