【メルマガバックナンバー2025/9/8】瞑想とイメージの深すぎる関係について
瞑想とイメージは不可分のひとつと言えます
どういうことか?
最高レベルの瞑想
本当に「無」の瞑想ができる人は 卓越した禅僧 ヒマラヤのヨガの行者
くらいではないかと思います
多くの人は それを目指してはいるものの 「無」は無理なのです
日常生活を送りながら 「無」に至ることはほぼほぼできないと言っていいでしょう
日常の中の瞑想の極致
では 日常生活を送りながら 瞑想することでどんな境地になるのでしょう?
その答えが イメージと瞑想がひとつなんだということです
もしも 「無」を意識して瞑想を始めたら 意識することで もう「無」ではありません。
そして瞑想を始めるとリラックスがとても深くなるので 潜在意識からいろんなものが浮かび上がって来るのです
これを普通は雑念と呼びます 心理学で言うマインドワンダリングが始まるわけです。
そしてあれこれ雑念が浮かび上がるから 「無」とはかけ離れて行くことで 瞑想への関心が薄くなり 逆に瞑想によって ネガティブが表面に出てきてしまった と思ったりします。
でも この場合 雑念やマインドワンダリングの扱い方がまずいのと あとはもう少しするとその次のバージョンに入って行けるから途中でもったいなくもやめることになるのです。
イメージと瞑想の関係
さて とても簡単にこのような問題を解決するのがイメージです
自律訓練法で 両手が重い 両手があたたかい と唱えるのも暗示という名のイメージですが、イメージが一番人を集中させ導くものです
以上のような理由で最近はイメージから瞑想に入る動画をよく作っています
自分自身はこの動画などはかなり気に入っています
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません