【夢分析:私の見た夢】グレイの世界に命の脈動を起こしたもの
「裏側を見つけた瞬間、世界は変わる」
── 死と生が向かい合う風景のなかで起きた、静かな転換点**
昨夜、私は奇妙に鮮明な夢を見た。
舞台は、どこか田舎のバス停だった。
空は曇り、地面はアスファルト。
色彩はすべてグレー。
人影がひとつもない、静止したような世界。
そこには、息子が高校生だった頃のバス停の風景が、
私の故郷・別府の「慰霊塔のある広場」の記憶と重なっていた。
夢というのは、本当に勝手な編集者だ。
どれほど離れた時代や土地でも、
意味のために簡単に“ひとつの風景”にまとめてしまう。
目次
■ 奥にある「死の領域」── 慰霊塔が建つ場所

バス停の奥へ歩くと、墓石がいくつも並んでいた。
そしてそのもっと奥に、ひとつだけ立派な慰霊塔。
実家の前の広場に立っていた慰霊塔そのものだった。
グレーの空、グレーの地面、
グレーの墓石、グレーの建物。
世界の色が奪われると、
そこに漂う空気は “停止した時間” のように感じられる。
最近私はクライアントに
「グレーを溶かすイメージ瞑想」を何度かやっていたが、
その影響もあったのかもしれない。
しかし、この夢が本当に伝えたかったのは別のことだった。
■ 墓地の“向かい側”に立つ、謎の建物たち

墓地の向かいには、古い家がいくつも並んでいる。
けれど、人の気配がまったくない。
玄関らしきものすら見当たらない。
「廃墟なのか?」
「いや、でも形は家だ」
そんな違和感だけが残り、
“表側”をいくら眺めても正体がつかめないままだった。
私は誰かと一緒に来ていた気もする。
その人とともに、建物の“裏側”へ回り込んだ。
そこで、すべてが反転した。
■ 裏側にあったもの── 子供の絵、生活の気配、“生”の光

裏側には、明るい窓が並んでいた。
そしてその窓には、子供の描いた絵が貼られていた。
「おばあちゃんへ」と書かれた絵。
遠足の絵。
家族の絵。
それを見た瞬間、胸の奥から湧き上がるような
不思議な“嬉しさ”が込み上げた。
建物は老人ホームだったのだ。
表からは墓石と同じように無機質だった家々は、
裏側から見ると“生活の場”に変わった。
- 部屋は9棟
- 1棟に2部屋ずつ
- 合計18人の入居者がいる
夢の中で、なぜかその構造まで理解できた。
そして驚いたのは、その気づきと同時に、
“表側にはなかったはずの玄関が突然「見える」ようになった”ことだ。
■ 「裏側がわかると、表が書き換わる」
夢の中で私は、はっきり理解した。
裏側に“生命”を見つけた瞬間、
表側の“死の世界”が意味を変えた。
世界そのものが、同じ姿のまま違う顔を見せた。
この構造は、私の人生そのものに重なる。
- 過去
- 失敗
- 離婚
- 喪失
- 老い
- 息子
- 親
- 自分の弱さ
- 自分の強さ
これまでは“表側”だけを見ていた。
グレーに見えたものの多くは、
ただ裏側に回っていないだけだったのかもしれない。
裏側には、
子供の絵があり、
生活があり、
愛と時間の積み重ねがあった。
その裏側を感じた途端、
表側に“入口”が現れる。
今まで入れなかった領域に、
急に“入っていい”というサインが出る。
夢はまさにその瞬間を描いていた。
■ 死と生が向かい合う場所で起きた、静かな転換

墓石(死)
老人ホーム(生)
その2つが向かい合う風景を前にして、
私は“境界”に立ち尽くしていた。
けれど、裏側に行ったことで、
死と生が分離したものではなく、
ひとつの流れの両端であることを直感した。
世代がつながるということ。
命が受け継がれるということ。
そして、私自身の人生もまた、
裏側を見つけることで再構成されるということ。
夢は、静かだが確実な
“転換点”を告げていたように思う。
■ 終わりに── 夢が示したものは“再生”だった
最近の私は、
潜在意識の奥深くにダイブする夢ばかり見ている。
その中でも今回は特別で、
深層が“書き変わる瞬間”を
ほとんどそのまま映像化したような夢だった。
裏側を知ったとき、
世界はまったく違うものになる。
人生の停滞をつくるのは、
事実ではなく“表側しか知らない視野”だったのかもしれない。
裏側には必ず、
人の気配、生活、愛、継承、未来がある。
そしてそれに気づいたとき、
どんな灰色の風景にも“入口”が現れる。
あの夢の玄関のように。
















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